ドイツのベルリンの壁ってなに?
第二次世界大戦で敗戦国となったドイツは、アメリカによって
分断されてしまいました。
旧東ドイツはソ連の統治下になり、旧西ドイツはアメリカの統治下に治まりました。
日本もアメリカの統治下になってしまったんです。
やはり、ドイツと同じように敗戦国なんです。
分断されてしまったドイツは西と東に分けられ、お互い行き来できないように長い壁を作りました。
今回はこのベルリンの壁についてお伝えしていきます。
ドイツのベルリンの壁ってなに?
第二次世界大戦によってドイツは西と東に分断されたのです。
東ドイツはソ連によって統治下され、西ドイツはアメリカの統治下になったんです。日本も戦争に負けて、
アメリカの統治下にはいったんです。
余談ですが、戦後作られた日本のオモチャを見ると、オモチャの裏には「メイド イン ジャパン」ではなく、
「メイド イン オキュパイド ジャパン」になっているんです。
オモチャだけではないですけど、これは日本がアメリカの統治下であったために刻印に入れなければならなかったんです。
ドイツの場合ですと、「made in Germany ではなく、「made in US zone Germany 」だったんです。
日本と同様、アメリカの支配下でしたからです。
ドイツ統一前の東ドイツはDDR=東ドイツ
昔、オリンピックを見るとよく、このDDRという文字を目にしましたね。強かったんです。特に水泳ですね。
メダル獲得選手がとてもたくさんいました。
しかし、東ドイツのメダリストはその後どうなっているか?
ほとんどが、廃人になりました。
クスリを国から強くなるために飲まされていました。 ドイツ統一後にオリンピック選手たちが暴露しましたね。
ベルリンの壁の始まり
1961年に国境警備隊が石で西ベルリンを包囲するようにバリケートを作り、有刺鉄線も張りました。
そして、東ドイツから西側へ逃げられないように高さ3メートルの壁を建設しました。
これがベルリンの壁の始まりで、1989年に崩壊されるまで28年間も存在していました。
ベルリンの壁が壊される4日前には60万人の東ドイツ人が東ベルリンに集合し、政治改革を訴えていたようです。
もうこうなったら、国は何もできません。
手の打ちようがない状態で、ベルリンの壁の崩壊前から多くの東ドイツ人が国外へでていきました。
ベルリンの壁の長さは?
壁の長さは155㎞なんです。どれだけの距離か想像できますか。
なぜベルリンの壁が作られた?
戦争によって西と東にドイツが分けられ、1949年に東ドイツが建国されて以来、毎日2000人にも及ぶ国民が東ドイツを去っているんです。
東ドイツ政府としたら、これでは社会主義国は作れないと考え、壁を作って逃げられないようにしたんです。
なぜ西ドイツに逃げたかったのか?
1950年代から60年にかけて東ドイツの経済はどん底でした。また逆に、西ドイツは経済成長を続けていて、
国民の生活も良かったようです。
日本もこの時期からドイツと同じように敗戦国として頑張ってきて、東京オリンピックでいっきょに成長していきました。
しかし、世の中面白いもので、統一に喜ぶ人達もいれば、不満に思っている人達が今でも大勢いるんです。
統一してもう25年以上経っていますが、お互いなじめないところがあるようですね。
例えばつい最近のことなんですけど、東ドイツ出身の人が就職口を見つけても、東ドイツ出身というだけで、断られたり、
賃金が低かったらするようです。
これにはいまでも頭をいためているらしいようです。
ちなみに、ドイツの女首相のメルケルさんは東ドイツ出身です。(生まれたのは西ドイツですけど、赤ちゃんの時に、東に行きました。)
差別というのは今も公には出てこないですけど、あるんですね。
※次回、ベルリンの壁崩壊後、私が仕事で東ドイツにいって経験してきたことをお話していきます。
仕事とはいえ、嫌でしたね。行きたくなかったです。会社に病気だと言って嘘をついてまで行きたくなかったで
すね。(笑)