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ベルリンの壁崩壊後の東ドイツは?(体験談)

   

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ベルリンの壁って知っていますか。

戦後、一つのドイツが戦争によって分けられてしまったんです。
西ドイツと東ドイツになってしまったんです。

しかし、27年前に東ドイツ人の東西統一デモなどによって、とうとう壁がこわされ、
西と東がなくなり、一つのドイツにまた戻ったんです。

今回は、ベルリンの壁崩壊後の経過など、私の体験などを踏まえてお伝えしていきます。

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ベルリンの壁崩壊後の東ドイツは?

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ベルリンの壁が崩壊してもう27年も経ってしまいましたね。時間が過ぎ去るのは本当に早いです。

未だにはっきりと覚えています。

1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊して、数週間後に私は仕事の関係で東ドイツにいきました。

崩壊するとは誰も思っていませんでしたから、私は仕事の為に東ドイツに行く予定をしてましたので、
会社の方でビザの申請をお願いしてました。それが崩壊1か月位前でした。

そして、ビザが下りた矢先に崩壊ですからね。申請しなければよかったな、などと当時は思いました。
そして、数週間後には東ドイツに行きました。

本当は仕事でも行く気が全然なかったのです。なぜなら、私が想像していた東ドイツというのは、
ドイツは、子供の頃よくテレビで戦争映画、「コンバット」という番組を見ていて不気味な国だな、と感じていました。

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もちろん、アメリカ対ドイツですね。ドイツ人は悪というストーリーなんですが。
その時にいつもドイツ人は怖いというイメージがあったんですね。

鉄塔の上から機関銃を構えてという感じで。なんか不気味な感じがしてたんですね。

ましてや、東ドイツは社会主義国でしたから、どういう風に想像して良いのかわかりませんでした。

ところで、昔の戦争映画は日本ではアメリカが良い子でドイツが悪い子になっているんですが、
ドイツではアメリカ対日本の番組になっていて、やはり、アメリカが良い子で日本が悪い子になっているストーリーなんです。

1989年の11月に初めて東ドイツに行きました。

ドイツの高速道路(アウトバーン)は快適で、日本とは比べることは出来ないですね。快適で。

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私が行ったところはザクセンアンハルト州でライプツィッヒに近いところなんですが、西側から300㎞のところです。
途中、ドライブインに寄ったら、面白い光景を見ました。

ドライブインで西ドイツ人と東ドイツ人がいろいろなものをお互い売り買いしてましたね。
東ドイツ人は西の商品を欲しがるし、西ドイツ人は西側の商品を売って、おこずかいを作るし、
なんだかドライブインというよりマーケットのようでした。

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それからしばらく走っていくといやな国境近くに近づいてきました。 国境に入ると私はすぐ鉄塔を見つけ上を見上げました。

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戦争映画の見過ぎかどうか、無造作に鉄塔を見て、誰か上にいるのか確認しましたね。
機関銃はもっていませんでしたが、警備隊がいましたね。まさしくテレビで見てたような鉄塔でした。

国境を越えてというより、西から東に入ってしばらく走っていくと、なんだか運転をしていて快適ではなくなってきたんです。
なぜか?東ドイツの高速道路がすごく悪いんです。

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西と東ではこんなにも差があるのかと思いました。 そして、行き先の標識が西側と違って大きく出てなく、
段ボールにマジックで書いたような標識ばかりなんです。

なんとか行き先に近づいてきて街中に入ったんですけど、渋滞?と思ってしかたがないなと車の後ろに並んでいたんですが、
これが渋滞ではなかったんですよ。

みんなガソリンを入れるためにガソリンスタンドに並んでいたんです。想像もしてませんでした。
西側の感覚でいたら、えらい目に遭います。

それと、最初は感じなかったんですが、空気がすごく悪いんです。こんなに悪い空気は西側でもないし日本でも経験したことがな
かったですね。

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当時、思いましたね、どうやってこんなに空気が悪いところで子供を育てるんだろうと。それほどひどく感じました。
なにしろ、至る所から、煙突から煙が出ていました。これでは公害についての話なんかできないですね。

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一つの原因として、車なんですね。東ドイツには「トラバント」という車があったんですが、
これが250cc位のオートバイのエンジンで煙もうもうと吐き出し走っているんです。たまりませんよ。

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この日本の軽自動車のようなトラバント、注文してから5年から10年待ちだったんです。 「トラビ」と呼んでました。
しばらくして、なんとか会社のある場所につきました。

この日はある東ドイツ人の家庭に一泊することになったんですが(一泊二食で1200円位)、
こちらでは高いのか安いのか想像つきませんでしたが、ドイツマルクで払ったら喜んでましたね。
夜のんびり食事をしながらいろいろ話をしてもらいましたが、驚くことがたくさん!

今度、続きを書いていきます。

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